2017年度三田社会学会大会

日本生活学会で初めてお話しした有末賢先生に、三田社会学会というものがあり、7月に大会が開かれると聞いてせっかくなので参加してきました。

会員しか参加できないのかと思い、入会申込書も事前に出しておいたところ、当日の幹事会で承認されたようで、三田社会学会員になったようです。


慶應義塾大学の三田キャンパスには「社中交歡 萬來舍(しゃちゅうこうかん ばんらいしゃ)」という場があります。一応、教職員と塾員(慶応の卒業生)またはその同伴者しか入れないことになっています。

前夜に親の家に泊まったので、父を連れてきてみました。個室ではお弁当を食べるおじさまたちで賑わっていましたから、どこかの三田会(慶応の卒業生組織)でしょうか。

PALACE HOTELが運営しているようです。サーロインステーキ丼の肉が多くて驚きま……。

社中交歡 萬來舍

そういう話はともかく、ここには小幡篤次郎の「萬來舎之記」がかかっていて、これがなかなか良いものです。

舎を萬來と名付たるは衆客の來遊に備ふればなり。

既に客と云へば主あるべきが先づ來るの客を主とし後れて來るの客を客とす。早く帰るの客は客にして後れて留るの客は主なり。

去るに送らず來るに迎へず議論なすべし。談話妨げず囲碁対棋読書作文唯客の好む所危坐箕踞共によし。扼腕拱手兩ながら問はず。來る者は拒まず去る者は留めず興あらば居れ興尽きなば去れ去て客尽くれば明朝の客来を待つ。

居場所づくりのプロジェクトなどでも参考になる言葉ですね。


三田社会学会は自由報告1件とシンポジウムでした。

シンポジウムは「サバイバーの社会学」という題で浜日出夫さんが進行を務められました。報告は次の3本。

  • 高山 真「生残者が体験を語る意味 長崎被爆者とのライフストーリー・インタビューから」
  • 佐藤 恵「被災障害者・犯罪被害者の生きづらさとその支援」
  • 金菱 清「ライティングヒストリーの展開―東日本大震災と20年の聴き取り調査敗北宣言」

討論者は有末賢さんと鈴木智之さんです。

高山さんと金菱さんの報告はライフストーリーに関することで、特に気になって聞いていました。

高山さんの報告は『<被爆者>になる―変容する「わたし」のライフストーリー・インタビュー』に基づくものだったようです。

同書には、好井裕明さんによる書評もあり「一級の研究書であり被爆者論であることに間違いはない」と高評価です。

『三田社会学』第22号の鈴木智之さんによる書評も「この本を読んでしまったことで、他者の語りに相対する姿勢はもうこれまでと同じというわけにはいかなくなるだろう」と意義を認めています。

こういう書評を読むと、この本を読んでみないといけないなあ、とは思います。また、僕自身が博論のときの関心の一つとして「研究する私」をどう研究で扱うかという点がありました。

正直なところ、報告は本を読んでいないとあまり理解できないなと感じました。口頭報告だけ聞いていると、「罪意識の同心円」においてその図の中に「「わたし」が含まれる」というとき、どこに自分を位置づけられるのか、そして、その位置づけとご自身の喪失体験とがどのように関連するのか、僕にはよくわかりませんでした。

研究者自身の(喪失)体験が「<被爆者>になること」と関わりがあるならば、「どのように」被爆者になるか(これは「当事者性をどう帯びるか」と同義と捉えてよいのか?)は、研究者の個人的体験に依拠してそれぞれに異なることになりそうです。そのこと自体は当たり前なので、それをどう乗り越えて研究とされているのかに興味がわきます。


金菱さんの報告は、やはり著書『悲愛―あの日のあなたへ手紙をつづる』に基づくものでした。

プレゼンの挑戦的な感じにわくわくしながら報告を聞きました。オーラルヒストリーと対置してライティングヒストリーを置き、(亡くなった人などへの)手紙を書いてもらうという調査手法のようです。

調査者が対象者に手紙を書いてもらうという介在をします。ただし、手紙を書くという行為であるため、調査内容への不介入という特性を帯びると。手紙は、二人称の語りが生まれ、弱い語りが拾えるというような話として理解しました。

「手紙を書くと亡き人への語りになるというが、調査のためとか本になるとかいうことがわかっていれば、公になることを想定した語りになってしまい、結局インタビューと変わらないのではないか。手紙を書くと没入感が得られ、手紙の宛先の相手のことだけ考えられるのか」

ということが疑問になったので、金菱さんに報告後に聞きに行ったところ、案外、そういうもの(集中して書く)らしいです。このあたりは、自分でも試してみたいです。

それから、討論者の鈴木さんの「オーラルヒストリーがだめとか手紙がいいとかいう話ではなく、それぞれの手法に描けることと描けないことがある」という主旨の批判的なコメントはまさにその通りだと思いました。たとえばドキュメンタリーにするという方法なんかも、手紙とは異なる情報が拾えるでしょう。


慶應義塾大学三田キャンパス東館

今後も、三田社会学会の大会に積極的に参加して、できればいつか報告もしてみたいと思います。

慶応にGlobal COEプログラム「市民社会におけるがバンスの教育研究拠点」があったとき、2年ほど研究員(RA)をしていたので、社会学研究科の先生や学生の名前は少しだけ聞いたことがありましたが、こうして仕事ではなく研究の場でご一緒できる機会ができたのは嬉しいことです。

慶応の社会学の歩みについては故・藤田弘夫さんの「三田社会学のこれまでとこれから:慶應社会学の起源・形成・展開」にまとめられています。

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